ネコロジーラボ

シニカルで愉快な猫族との関わりを綴ります

みるくもやってきた! 

2017/01/30
Mon. 19:17

ハナコがやって来て、またひと月半後の10月中旬。

私の母は膝の骨に問題が出てしまい、少しだけ歩行が困難です。
人工関節にするのは時間の問題なのですが、極力避けたい。
というわけで、折を見てネットで治療法を検索していたのですが、
ついに、見つけることが出来ました!

その治療法を試すには、安静が第一と指示があり、
ひと月以上、車椅子生活がベストとの事で、
むー。身重の私には実家まで通うのが困難。

ということで、みるくに環境の変化を我慢して貰い、
母とみるくにひと月、我が家に来てもらう事になりました。


17歳に近いみるく。(みるくについてはコチラ)

寝室で過ごして貰いましたが、予想通り、狼狽し、いじけてしまった。
ごはんも食べない。

ヤバい。寿命が縮んでしまう!!

私は、母の面倒は適当にして、全力でみるくをおだてまくりました。


その結果、1週間ほどで、






誰よりも、我が家をエンジョイ!



楽しむみるくに対し、更におだてまくり、



もっと褒め称えなさい、
と命令されるまでになりました 笑


離れて暮らすようになって、みるくは私を爪切りばばぁ来たー!と
逃げるようになっていましたが、
またみるくと仲良くなれて、私もほくほく♪


しかし、こんな時でも、この程度のおだてじゃ、
みるくは騙せても、ひろとは騙せなかったなぁ、と、
私の中ではひろと基準がある様で、彼女に想いが飛んでしまいます。


ひろとは、賢い分、手強かった。
誤魔化しや嘘が通じなかったから、いつだって体当たりでした。

彼女に鍛えられきたから、
猫様に尽くすのなんて、私にとっては息を吸うくらい簡単な事です。


私を育ててくれて、ありがとう。

ひろと。



こうして、みるくはすっかり気分を良くし、元気になった母と共に、実家に帰りました。

ところが…、実家には小さな猫デッキしかないから、
母に、


おかーさん、うちってビンボーなんだね~、と、文句たらたらだそうです 笑

めでたしめでたし♪

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そして彼女がやってきた。 

2017/01/29
Sun. 01:05

思った以上の方々にご訪問いただき、ありがとうございます。
コメントも拍手も、ものすごく感謝しております。
心苦しいのですが…余裕がなく、お返事が出来ないかもしれません。
どうかお許しください。



私はひろとの本気介護中、何よりも彼女が優先で、
自分の妊娠をさらりと忘れ、ややあったツワリも感じなくなりました。
思い返せば、本腰入れての介護は7日間、寝たきりになったのはたったの1日でした。

多分、あのまま介護が続けば、私は平気で無茶をして、
妊娠を継続するのが困難だったかもしれません。


ひろとは何もかもお見通しだったのだと思います。


あと10年とか散々言ってきましたが、
本心では、ひろとはあと5年はイケると思っていました。
目指すは25歳でした。
不意に見送る羽目になってしまい、彼女に文句のひとつも言いたいところですけど、
20歳を迎え、年齢的にも少しばかりは納得していましたし、
何よりも警戒していた、尿毒症での苦しみある死ではなく、
心臓の寿命を感じる多臓器不全、「あぁ、老衰なんだ…」と思える死だったこと。
コレはひろとにとって大変喜ばしい事だったろうと思います。
そして、彼女の最期。
ちゃんと生きると、ああも威厳ある最期を迎えられるものか、と
救いがあったのも事実で、
彼女を失う事を、心底恐れていた割には、上々の対応だったよね?
と、ひろとに褒めてもらいたいです。



しかし。

彼女ほど、私と気の合う生き物(ヒトネコ問わず)はいません。

カラダの一部のようでした。

だから、すごく、寒くなってしまった。

順番的に今回は、ひろとに手紙を書きたいところですが、
彼女に対する私の想いって…。
どうもにも言葉が溢れてきてしまい、まだ少し時間が必要なようです。
なので、その後の話しを書きたいと思います。



ひろとの49日が過ぎた頃の、9月5日。
夫が帰宅し、なんだかのっぴきならぬ様子で、
そーっと、来てくれと私を呼び、


「こんばんは~」って言われたんだよ、と夫は言いました。


その日の来訪者は、



なんだか見覚えのある後ろ頭。


けど、



チガウ!


夫は車で帰宅するのですが、車を止める際、ひろとの気配がしたそうで、
轢かない様に気をつけていれながら、
ひろとが居るわけがないのに何やってるんだ…と思ったそうです。



やってきた当日の写真は、


もー。瀕死。


翌日病院に行き、血検の数値はメチャクチャ。
猫ってたまに、この数値でなんで生きてるんだ!って子がいますけど、
正にそういう事になっていました。


けど、たったの1週間で、


こんなにキレイになりました。
風邪用の抗生物質と、ブラッシング、そしてひろとが教えてくれた口内環境の改善のみです。

けど、関節炎は始まっているし、口内環境はヒドいし、年齢不詳です。
現在は更に元気になり、白タオ坊ちゃんが負け気味な程です。

名はハナコさん。



「あんた私と柄かぶってるし、あの家行けば、ごはんは食べられるよ。
待遇はそこそこだけどねー」って、

ひろとに言われて来たんだねって、ハナコに何度も話しかけています。

おそらく、ひろとさんが憑依したのではと考えていますが、
もー少し、若い肉体を選べなかったのか…!?と笑ってもいます。


いやはやハナコさん。非常に完成度の高い猫でして、かわゆいのです。
何事にも動じないようでいて、空気は読むし、
一見、おバカな様でいて、状況把握のチカラがスゴイ。
育てずとも、こんなにかわゆい猫ってがやってきて、幸運です。
難を言うとしたら…膝への情熱でしょうか。
空いている膝ならば、何でも良いそうです。


えーと。私はヘタレですけど、譲渡に関しては果敢にチャレンジしますから、
譲渡対象のつもりなのですが、猫責任者の方が遊びに来た際の会話。

私が譲渡と言った瞬間、いや!
えーと、だから譲渡…、いやいや!!
と、みなまで言うことが出来ない感じで 笑

えー。だめ、かしら?笑



しかし、なぜゆえ、ひと月半ごとに何か起きるのだろうか…。
過去にブログで散々書いていますが、猫は滅多に拾わないのです。

そしてまだ、イロイロ続きます。



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20年間、いちばん恐れていたこと。 

2017/01/24
Tue. 14:50

イイ事(いやちょっとは怖い)もあったけど、最大の試練も続くのです。

ついに、このことを書かねばなりません。



2016年6月1日。
ひろとさんが膀胱炎になり、抗生剤で即日復活♪(良くなっても5日間飲ませています)
薬の反応がイイのは、お若い証拠だとニンマリしました。

6月12日。
この日私の妊娠が発覚しました。
逆算すると、なっちゃんが私の腹に入ったのは5月28日。


それから6月末まで、ひろとさんは膀胱炎を繰り返しましたが、その他はたいへんお元気で、
相変わらず私を(面倒くさそうに)気遣い、松に命令してヒトの面倒をみさせていました。
ご健在そのものだったのです。

その間、私は毎日毎日、
私のハラにいるなっちゃんの面倒を10歳まではよろしくね~、
と、無茶なお願いをし続けました。
長年ひろとに寄りかかって生きてきた私は、
子が産れるという試練も、ひろとに頼る気満々でした。
膀胱炎なんて初めてだったけれど、動きもイイしキレもある。
まだまだイケる!と信じ切っていました。


そして7月1日。
後脚のふらつきが始まりました。
関節炎も患っていましたから、体力がちょいと落ちてのふらつきだと思いました。
しっかり膀胱炎を治して、体力を復活させれば、また元気になるはず!

それから、日に日に、行動範囲が狭まり、寝ている時間が増えました。



松っちゃんが、ひろとに添い寝するようになりました。



私は、松に言われて初めて、

ひろと逝っちゃう気なんだと、気付きました。



松っちゃんの看護は、それはそれは献身的で、



ひろとに寄り添ったモノでした。



ほんのすこし、触れるだけ。
こうして1日の大半を、ふたりで過ごしていました。



7月5日まで、なんとか自力でトイレは行っていましたし、
液状のミルク(キドナ)はシリンジで召し上がっていましたが、


7月6日午後、ついに彼女は、自力で歩けなくなり、瞳孔が開き気味になりました。
なんとなく、肺に問題がありそうに見えたため、
辛抱たまらず最寄りの病院でエコーを撮ってもらうと、
(胸水だったら抜いて、ヤマをのりこえられるかも、と考えた為)
心臓に問題があり、僧帽弁閉鎖症だろうと診断されました。

年齢を考えると、何も対処が出来なかった。



そして7月7日。
私は今夜が山場だと肌で感じました。

母を呼び、21時が過ぎ、


呼吸が荒くなり始め、

ひろとは今、逝くつもりだって、はっきり解りました。



松、夫、母、私が囲み、

ひろとは、ひとりひとりの目をしっかり見て、

それぞれに、言葉をはっきりと、残していきました。



コレは亡くなる前日の写真ですが、逝く寸前まで同じように、しっかりした表情でした。




ひろとは私に、

もう大丈夫だよね?逝ってイイよね?

と、毅然とした態度で、言いました。




私は、

楽しかったね。何にも心配いらないからね。大丈夫だよ。

と、絞り出すように、何度も言いました。



どうしてこんなにはっきり、ひろとの言葉が解ってしまうんだろうか。

彼女は猫なのに。



この間、松はひろとの手に、おでこをつけていました。



ついに、ひろとの魂のようなモノが、肉体から離れてしまいました。

心臓が静かに鼓動を終え、コレが寿命という事なのか思いました。

安らかな最期でした。



事切れても、松はおでこを一層ぐりぐりと、ひろとの手に押し付け続け、

ひろとのカラダが、一瞬反応しました。


咄嗟に、松っちゃんもっとやって!と全員で応援し、

松はもっとぐりぐりしました。




けど、もう。



いっちゃった。




何もかもが、



カッコ良すぎたよ。ひろと。



松っちゃんも。カッコ良かったよ。


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3月になっちゃんを見送り、
4月が過ぎ、5月になりました。

ひろとさんはおそらく4月か5月生まれなので、

ついに、20歳を迎えました。


ひろとを尊敬している私の母が、生クリーム好きのひろとさんの為に、
ケーキを買ってくれてお祝いしました。



なぜか

なっちゃんの名前も。
おかーさん、欲張りすぎ。


ひろとさんは物事の理解度が高いので、自分の物は、

きちんと待つ。
逆に言えば、貰えない物は力技で奪う。(かなり強引)

こういう時、ひろとは自分の為のお祝いなんだって理解します。
人間が食卓を囲むのとなんら変わりなく、
わいわいおしゃべりしながら、楽しくお祝いしました。
いえ、付き合ってくれていた様な気もします 笑



誕生日なんてしたことがないのですけど、20歳のお祝いだけは、結婚式か!?ってほど
人間目線の勝手な感じで、ヒトを大勢呼び盛大にしたかったのですが…
こんな状況だったので達成できず、こじんまりとしたお誕生会になってしまいました。
が、お年頃のひろとさんにしてみれば、やかましくならず結果オーライだったことでしょう!


ともあれ、次は30歳だ!!!
むむ、その時は、皇帝のごとく高座を作って、
皆さんにはおずおずとかしずき、ご機嫌伺いしていただくスタイルで
厳かにお祝いしよう!と、意気込みました。



そうこうしているうちに、なっちゃんの四十九日が過ぎ、
それでも私は、突発的に喪失感に鷲掴みにされ、まだまだ泣いていました。
涙って、びゃっと吹き出ることもあるんですね。
じんわり出るもんだと思っていました。



それから。
自分の胸が異様に張り、痛みを伴う様になりました。

これは…。こんなに痛いんじゃ、生活が困難だ。
癌か妊娠しかない…。
しかし、生理予定日はまだ先。
うわー、私には愛猫を見送るという、生きていて一番大切なミッションがある!
ままままさか癌…だったらどうしよう!?



あー。
見事に妊娠していました。


私たち夫婦は、自分の子供は作らないつもりでいました。
生物的に間違っているかもしれないけど、欲しいと思いませんでした。
それよりも、自分の遺伝子が受け継がれる方が怖くって、
自分の子=怖い存在、と本気で思っていました。
けども世の中には犬猫同様、行き場のないヒトの命があって、
信頼できる大人にはなれるかもしれない、いや、なってみせる!と
ゆくゆくは、養子か里子を考えていました。
まぁ、これも、犬猫の保護活動と同じ想いから発生している妙な正義感なので、
間違っている様な気もするんですけどね。


しかし、まさかの妊娠。

パニックです。もう。

いい年した私に生殖能力があるわけない!と、
なかなか認めず、検査薬を3本使い、病院に行って妊娠ですと言われても認めず、
なんだか、ものすごく無駄遣いしてしまいました。(保険適用外で激高!)



だけど、ある時ふと。

なっちゃんが、こんなに早く帰ってきたんだって、自然と思えてしまって、

今まででっかく抱えてきた、自分の子=怖い存在 が、
自分の子=なっちゃん=世界一可愛い存在、にちょっぴり変換。


頑なだった私の価値観を覆す、恐るべしなっちゃんパワー。


ちなみに予定日は2月22日、です。



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その後の話しとなっちゃんへの手紙  

2017/01/14
Sat. 18:58

ずいぶんご無沙汰してしまいました。
それなのに、訪問してくださる方々がいらっしゃいました。

ありがとうございます。


筆が進まなかった原因はいろいろあるのですが、
すっかり年も開け、思い返せば2016年は、我が家にとって変化と試練の年でした。
自分の無力を痛感する出来事ばかりで、私は徹底的に打ちのめされました。

そんな中でも、前向きな変化や新たな出会いがあり、光が見える瞬間もあったのですが、
沈みきった気持ちには、喜ばしいことさえも刺激物で、神経が逆撫でされました。


けれどようやく今。
人生最大の転機を前に、いい加減向き合っていこうと思えました。

未だに写真を見返し、思い出すと、
頭の奥がツンとして涙が溢れますけど、

生きてさえいれば、なんとかならない事はないですもんねぇ。


今日からなっちゃんを失った後の話しを書いていきます。
所詮自分の心の整理の為の書くのですが、
お付き合いいただけたら、とても嬉しゅうございます。



なっちゃんが旅立って、私は何日も泣き続けました。
辛い事は今までだってあったのに、あんなに泣いた事はなかったです。


どうしてあんなに打ちのめされたのか?
愛していたのは勿論ですけど、
自分の予定と違かったからだと思います。

私は彼女から、我が家一の弾けるような健康を感じていました。
今後私は、自分の猫を飼う事はなく、保護猫の面倒を見るつもりでいましたし、
きっと最後の愛猫はなっちゃんだろうと、勝手な予定があったのです。


旅立ってしまったなっちゃんの安寧が心配で、
自分が感じる喪失感だけに身を委ねた結果、
ひたすら泣く事になってしまいました。


そうしたら…。

ひろとが松に、ひそひそ相談し始めました。


その結果、


あのぐちょんぐちょんのダメななを何とかしなさいよ!と、ひろとが命じ、
松っちゃんがなんとかする事になったらしく、


毎日、毎日、



私の



顔に穴が空くほど、



松っちゃんに見つめられるようになってしまいました。


ついつい笑う私。

そしてみんな、

松を囲み、松の胸を借りて泣きました。


もちろん、






安定のひろとさんにも頼っていましたけど。



大黒柱として長年君臨したひろとが、松っちゃんを頼った事に感動したり、
なっちゃんがいない事実を思い出し、また泣いたり、
気持ちだけは、物凄く忙しい日々を送っていましたが、

猫たちに慰めて貰って、私は着々と正気を取り戻していきました。


手のかかる飼い主で…。
本当にすまん。

うちの猫たちは、偉大すぎる。
頼りになるんだもんなぁ。ありがとう。




なっちゃん元気でやってる?
それだけが物凄く心配だよ。


あなたが我が家にやってきて5年半。
保護猫としてやってきて、このうちに置いてください!って、
土下座に近い大アピールをした猫は、後にも先にもなっちゃんだけだったよ。

うちを選んでくれてありがとう。

って、私目当てじゃなくて、ひろとさん目当てだったけどね。



なっちゃんは私の憧れの女の子だったよ。
可愛くて、正直で、シンプルで、優しくて、ちょっこりちゃっかりしていて。


物事難しく考えてしまう時、
問題が起きてもひらりと乗り越えるなっちゃんを想ったよ。

何度助けられたかわからないよ。



図々しいですね…って言われるのはわかっているけど言っちゃうよ。
短かすぎたし、なっちゃんがいなくて悲しいなんてモンじゃ気持ちを表せないけど、私、

後悔が、ひとつもないんだよ。



だって。
いつだって全力で愛したもん。



ありがとうなっちゃん。



またね!

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2017-01