ネコロジーラボ

シニカルで愉快な猫族との関わりを綴ります

スポンサーサイト 

--/--/--
--. --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

CM: --
TB: --

page top

なつとの出会い 

2015/02/21
Sat. 06:53

タオがうちに来て10日ほど経ったある日。
はじめてポチたま会の猫を預かることになりました。

迎えに行くと、生後2ヶ月前後の子猫が6匹。
大変だから3匹づつにわけようという話で、選んでいいよ、と。
あぁ、苦手な選ぶ行為。いや、私が飼うわけじゃないんだけども。
もたつく私にベテランの先輩は、適当にささっと選り分けてくれました。あは。

受け取った3匹は生後1ヶ月半ほどの月例で、大きさがバラバラ。
栄養状態の差が激しかったです。


当時、私たち夫婦は実家で祖母の介護をしていて、祖母が施設に入所した時でした。

今よりずっと無知でしたが、新しい猫が来たら隔離というアタマはあり、
10日間はタオがひと部屋使っていました。
隔離中、すでにうちの子にする事を決めていましたし、
ひろと松は白血のワクチンをしていたし、
ちと早いけれどタオのウィルス検査し、ひろと松と合流させ、
空いた部屋を保護猫の部屋にしました。


コレが保護部屋のはじまりだったな。
生活がどう変わるか、家族に断りなく始めてしまった。
ものすごい理解を示してくれ、むしろ全面的に協力してくれる夫と母。
ありがとう。


小さな保護部屋。
ひたむきでちゃっかりしている保護猫たちが織りなす、あたたかな雰囲気。
彼らの生命力と個性に、毎度感銘を受け、皮肉にも元気をもらってしまう場所。



初心者の私の目にうつる3匹は、痛々しいほど怯え震えていて、
人間目線で何度も何度も声をかけ、何度も見に行き、いやそれは余計怯えるってば。
タオが来て間もなくでしたが、彼は生後3ヶ月過ぎでしっかりしていたし、人慣れしていた。
栄養状態が悪い兄妹、そして人を怖がる子猫は初めて。

入寮して2週間ほどの写真。月齢はちょうど2ヶ月ほど。


中でも、ワタシは彼女に目が釘付けになった。

なっちゃん♪
前に出て、私から兄妹を守っていました。
2ヶ月に満たない子猫がこんなにも、毅然とした態度を示すことに驚きました。


ばっちり野良修行を受けていたので、喉をゴロゴロしてくれるまでに2週間以上かかりました。
特になっちゃんは、1ヶ月以上かりました。

そして、健康状態。
コクシが出て、体重が標準の半分以下の子がいて、
それはそれはビビリながら全力でお世話しましたっけ(遠い目)
この経験のおかげで、随分子猫慣れしました。


たいへん気質の優しい子達で、いたわりあい、おもちゃは譲り合い、

今考えても、仲の良さがピカイチでした。

観察していると、なっちゃんがフェアなんです。
統制をとり、優しくお世話し、弟妹はのびのび育っていました。


1匹づつ飼ってきた私にとって、兄妹の絆は眩しすぎて、
ひろとと松を兄弟から引き離してしまったことを、何度も後悔しました。



そうこうしているうちに、夫が2匹拾い、預かりの子も増え、
保護部屋は6匹になりました。

ケージがイヤだったワタシは、部屋を細かくわけ試行錯誤しながらも、
今では考えられませんが隔離は適当でした。

だって

こんなだった。

猫じゃらしを振ればストリートダンサーの如くひとりづつ出てきて、交代で遊んでいた。
お行儀が良い訳ではなく、ゲラゲラ笑う声が聞こえてきそうな楽しげな雰囲気。
個々に主張はあるのに、歩み寄って譲り合って、
天国に見えた。


下の子が入寮してから一層、
なっちゃんは出しゃばりすぎず、適度にリーダーシップを発揮しました。

ごはんだけはいちばんに食べていましたが…おもちゃを他の子に譲り、

上手く遊べていないとさっと出てきて、鮮やかな手本を見せてました。


徐々に保護の子とうちの子を、接触させるようになっていました。
ひろとは子供が苦手な大人丸出しで、それはそれはギコちなくて笑えました。
松っちゃんは、、、地震!?と思うほど唸りながらのしのし歩き、
子猫がさささーっと道を開けていました。私は松って海も割れるんだと、くくっと笑ってました。
タオは…ヘビのような声で威嚇しオモチャを独り占めする、ひとりっ子丸出し。
それを保護猫たちは、どん引きつつも生温かく見守ってくれましたwwウワテもイイところ。



以前もどこかで書きましたが、ひろとと最初に対面させた日。
なっちゃんはひろとに恋をしました。


子猫の中ではいつもお姉さんの顔なのに、


妹の顔をして、ひろとに甘えに行きました。



彼女はとても、とても控えめな子だった。

他の子達はどんどんニンゲン接客番長になって行く中、
なっちゃんはどうしていいか戸惑い、いつも遅れをとっていました。

アピールが上手な子、ワタクシの裁量で相性の良さそうなペアから続々と5匹決まり、
ついに不妊手術前のなっちゃんだけが残ってしまいました。


ポチたま会では、泣きの1回というルールがあり、
保護がストップしてしまうため、自分の子に出来るのは1匹だけ。

私自身、なっちゃんが素晴らしすぎて恋をしていましたし、
ひろとは永田並みになっちゃんが好きだし、
この上なく社会に足け、しかもその中のリーダーだったなっちゃんは、

それはそれは柔らかに、ひろとに飛びかかる変タオを押さえ込んでくれるし、
彼女は彼女でしかないけれど、ワタシの思い入れのあるサビ柄で、

彼女がうちにいてくれたら、いいことづくめでした。

不器用ななっちゃんの、私が感じる彼女の輝きを、
他の人で理解できるんだろうか?とかなんとか思ったり…ひたすら迷いました。

しかし、ぐぐっとこらえ、コレだけ賢く優しい子だから譲渡に出そうと決めたのです。


その数日後、母がひろととなっちゃんの仲をみて、
「ココに置いてくれって言ってるよ !飼ってあげなよ」と言い出しました。
いやダメだ。タオみたいに障害を背負った子がきっと来るから、
健康ななっちゃんは出さなきゃダメなんだと答えました。


ニンゲンのヒザに乗らなかった彼女。
そのあくる日から、夫の朝ごはん時、ヒザに乗るようになりました。

毎朝毎朝。欠かさずに。
夫はじっと耐えていました。


確か1週間ほど経った時。夫は
「無理だよぅ うちの子にしようよ」とやや半べそで言ってきた。



ひとりひとり、陥落させたなっちゃん♪

後にも先にも、こんなにもココに置いてくれと言われた事はありません。

うちの子にすると決めた翌日から、夫のヒザには乗らなくなりましたww


次々と仲間が決まっていって、なっちゃんは次が自分だってわかってたよね。

けどワタシ知ってるんだ。
なっちゃんはひろとと暮らすために、
ニンゲンを説得する必要があったって、ちゃんとわかってたんだよね。


というわけで舞い降りた天使。

うちの子になってくれてありがとう。

そして里親さんたち。なっちゃんを選ばないでくれて、ありがとうございまっす♪



さてとー!ようやく4匹の出逢いを書き終えました。
次はブログを始める前の彼らの様子を書きたいなと思いますが、
少々あとになりまーす!


さささ。明日、2月22日8:00 necology bazaar OPENです。
コチラもどうぞよろしくお願いします^^


スポンサーサイト

[edit]

CM: 4
TB: 0

page top

タオとの出会い 

2015/02/14
Sat. 07:00

今日は書き溜めていたタオとの出会いです。


ボランティアを始めて数日後、
夫の友人が、猫を拾ったけど 結局飼えないことになって、
元の場所に置いてきたという話がありました。

そんなの捨てたと一緒じゃないか!と怒ったワタシ。

いえ、友人はいい奴なんです。
家で飼えないなら、毎日ごはんをあげに行こうと目論んでいたそうです。

引き取るよと伝え、彼は大慌てでもう一度拾いに行き、家まで連れてきてもらいました。


生後3ヶ月ほどでしたが、700gしかありませんでした。(1.2kgは超えて欲しいです)
真っ白の身体に蚤がうごめき、そうですね、
思い返せばこれまで見た保護猫の中でも、NO1の蚤飼いでした。白くて目立っただけ?
あ、それに回虫。よくぞこんなに育ちました!という ごんぶと具合。
口元に治りかけの深めの傷がありましたが、その他は健康そうでした。

うう。データが見つからずスキャナー写真です。


その頃はまだボランティアの仕組みをイマイチ理解しておらず、里親探しの方向で考えていました。
私にとって10年ぶり、松以来の子猫。


以降お世話をした保護猫と同様、タオも生きるのに必死で、鬼の形相でした。
けれど、それまでに会った猫の中でも、とりわけ美しかった。

なんていうか....日本の神様みたいな神聖さを漂わせていました。
どちらかというと、妖精のような華やかな感じではなく、
妖怪のようなおどろおどろしい美しさでしたが。

しかし、しかしですよ。
変わってるんです。動きといい、鳴き方といい。
子猫をあまり知らないというレベルじゃないんです。変なんです。

数日して気付きました。

耳が聞こえてないなって。


というわけで、リスクがある子を里親探し出来なくなってしまった、初心者のわたくし。
今考えれば、探せたなって......思う気持ちもありますが、
毎日この

爆音怪獣と暮らしていると、ウチでヨカッタv、とも思う。
てか、難聴だけではないかと。性格? ん、育て方?



そんなこんなでろくに考えもせず、うちの子に決定しました。
ふーむ、ボランティアはやりたくてやったのであって、猫を増やす気は無かったんだけれども、

しかしなにより、彼のバカさ天才加減がかわいくてかわいくて仕方ないから

うちの子になってくれてありがとう。




[edit]

CM: 4
TB: 0

page top

松との出会い 

2015/01/09
Fri. 06:00

松との出会いは、昨日の記事の続きになります。
永田が亡くなり、正直 もろもろの余裕はなかったけれど、
ひろとの為に、新しい猫を探しました。
おおよそ14年前の出来事です。

そうは言っても計画は、拾うか庭に来ないかな~、でした(汗)
ご縁ないまま、半年ほど経ってしまったある日、近所の人間の病院に行きました。
どうやら患者さんが貼ってもらったらしく、「猫差し上げます」の貼紙がありました。

しかし、載っているのは2匹。
うわー、2匹は経済的にも無理だ....しかし時間が経過し焦ってもいました。
我慢できず問い合わせだけでも、と電話すると、1匹決まり、1匹残っているとのこと。

ご縁きたーーーー!!!



保護主さん宅を訪ねると、お世話をしているのはおばあちゃんで、お孫さんが働く本屋の前に、ダンボールに入った2匹が捨てられていたそうです。
保護時、離乳はしている生後1ヶ月ほどだったそうで、私が会ったのは2週間経過した生後1ヶ月半ほどでした。

靴下を履いた白黒のオスと、半長毛の三毛のメス。
三毛の子は明日新しい家族が迎えに来るんだ、と仰っていました。
なまじかワクチンの知識があったため、できればワクチン後に迎えたかったのですが、
すぐ連れ帰って欲しいと言われそうしました。簡単にもらってきちゃったなぁ。
たまに今も元気です、と伝えたくなるのですが、
うーむ。住所を覚えていない。あたしのばかー!今年はふらふら歩いて探そうっ


こうして迎えた彼。


連れ帰ると母は、コレかわいいの?と言ったww
私はしどろもどろに、小さいし、靴下履いてるからかわいいよ、と答えました。
母は首をひねり、こんなグレムリンみたいな怖い顔の猫、初めて会ったな....と呟いていました。


名前は毎度適当で、私はなんとなしに花ちゃんと名付けたかったのですが、
この野生児を花!?と、母が猛反対しました。

じゃ、松でイイやと瞬時に答えました。
何でしょう?フィーリング?


ワクチン前でしたし、ひろとと直ぐには会わせず、別室で気配を感じてもらうことから始め

ついに対面してもらうと、
ひろとは

こんなバカそうな子っ!!ふざけんな(怒)、と言った。
多分間違ってないと思いまする。


こんなだったしねぇ。

松はなんていうか.....

立ち振る舞いが粗野で雑だった。
確かの母の第一印象通り、野生というか、動物ー!という感じで、
意思の疎通が出来るのかな....と、少々不安になる子でした。

しかしヘタくそながら、とにかくよく遊ぶ子で、
「悪魔顏」と訝しげだった母が1番、爆笑しながら遊んでいました。

そーだそーだ!

松っちゃん可愛かったよ~ww


こんなに小さな月齢の子を飼うのは初めてでしたので、どきまぎでした。
前脚が湾曲しているように見えて、獣医さんに駆け込み、カルシウムを貰って帰りました。

今考えれば、ただの短足だった。

その時のことを先生は、うるさかったから、コレで満足するかなって言ってました。


松っちゃん!


小さかったね^^

明日に続く

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ひろととの出会い 

2014/01/27
Mon. 18:12

ー暗く重い長文です。17年前夏の出来事ー

ひろとの出会いは、私が根暗でだらしない人間だと曝け出す作業。
シャレにならない陰気臭さなので、苦手な方はスルーしてくださいーーー

だらしないので、写真が一枚もありません。ひろとは生後3ヶ月ほどでやってきたはずです。
今でこそ写真を撮る行為が習慣になりましたが、私の女子力は最低です。
整頓や記念日など、そういったことにかけて、全てを忘れます。ある意味秀逸と自負しております。

私はまだ学生でした。
しかも友人宅に居候の学生。

ある日、ペットショップを営んでいる知人から、卸し市場に行ってみないかと誘われ、連れて行ってもらいました

私は幼い頃から動物が好きでした
天気が荒れるとまだ見ぬお外の子が死んでいるのではないかと泣き、保健所の存在を知って泣き、
ペットショップでは売れ残ったらどうするんだと泣き、動物園でも心配が先に立って悲観に暮れる子供でした
しかも、ウジウジと根に持ち、ご飯も喉を通らなくなる始末。親はさぞ心配だったろうと思わせつつ、大人になって確認して見ましたが、割と大雑把に対応されていたようです。

そんな変人だったため、同世代の子供の中では浮いていました

思春期になって、孤独で、周りに合わせたくて、
自分が感じることを間違っている、と思うようにしてました

動物は好き。でも妙な見栄を張って、
ペットショップでも動物園でも、無邪気にカワイイと振舞える、
明るい女子のフリをしていました(してたつもりです)
その感覚をよく覚えています。歯ぎしりと冷や汗。だって感じてしまうわけです、その裏側を。
しかし、そんなことで傷ついていたら、世間で上手く生きていけなくなる一抹の不安を、克服したかった。
・・・複雑で迷子ですね、思春期は。いえいえ、今も同じですが。


しかし市場で見た光景は、無邪気に喜ぶなんて、遥か彼方にぶっ飛ぶ、衝撃でした

買われる子達は、しゃもじの合図で競り落とされ、「品物」として取引されていました

「生き物」じゃないの?
こんなにも簡単に、売り買いされていいの?


市場の雰囲気が恐ろしくてたまらなかった私は、
目を背け終始、下を向いていましたが、音だけは聞いていました

血統書付きの子が競られ、数万円~数十万円で取引される中、
「雑種 3匹500円」 と声がかかりました
競られる事無く、ある男性が500円で競り落としました

私は咄嗟に顔を上げ、その人の後を追いました

血統書付きの犬猫を買いに来た人が、雑種をどうする気なんだろう

ただ、聞いてみたかった。「どうするんですか?」と

息を切らして追いつきました。その後に、訳が解らない知人もやってきました
猫の箱を持った人は、私の形相に驚いていたと思います

引き止めたはいいけれど、なんて言っていいのか分からず、やっと出た言葉が
「猫を見せてください」 でした

箱の中には、白黒2匹・グレー白1匹


次に出た言葉は
「1匹譲ってください」 でした

知らない大人に対して質問するのを、気後れしたのです
実際どうするのか、その人の答えを聞くのも怖かったのです

私は、その人が、猫を残酷に扱うと決めつけていました
そんなの解らないのに。

思い込んだ思春期の暴走はすごい
1匹でも生かしたい。「居候の身では1匹が限界だ」(いや無理だろう・・大馬鹿者)
パニックのあまり行動に思考が追いついておらず、そう瞬時に判断していました

頭が真っ白で、それ以上言葉の出てこない私に代わって、知人が2000円出すから、と交渉してくれました。
なぜ2000円だったのかは謎ですっ!その人は快諾してくれました

選んで、と言われ、立ち尽くしていると
「これでいい?」と白黒の子を差し出され、受け取りました

それが、ひろと でした


その人に、どうする気だったのか、勇気がなくて聞けなかった
どうしてあの瞬間、妙な計算をせず3匹引き取ると言えなかったのか
その後、他の2匹はどうなったのか
今でも後悔しています


「保健所で殺されてる子も外で生きてる猫もいるのに、それを何とかしてから売るんじゃダメなの?おかしいよ!」
幼い頃、喜ぶだろうと思って父がペットショップに連れて行ってくれたのに、大泣きしながら訴えた主張。
お店で、まるで大人である父の所為かのごとく、ボカスカ父をぶった覚えがあります
父は子供の戯言と取らず、父なりの言葉でキチンと対応してくれました。
一応その時は納得するのですが、何かある毎に両親に突っかかってきました。

世の中は変わってないんだ。人にどう思われても、
おかしいと感じる自分の心に正直であろうと、ようやく決心する事ができた出会いでした


ひろとは私の歪んだ正義感の証でもあります。保護活動だって、猫飼うことだって、結局はエゴだと思います

けど、愛してるんです。それ以上の言葉は見つかりません

ただただ、自分の身勝手で、彼らの不利益にならないよう、心がけだけは一丁前でありたいと思っています
案外、善かれと思ってしたことが、ありがた迷惑な場合もありますから。猫族よ、気持ちだけ受け取っておくれ


そして、ひろとと暮らし始めてからは、滅多に見知らぬ動物を想って泣かなくなりました
メソメソしてられないと、ようやく、現実を受け入れる覚悟が出来たのです


彼女は私を強くしてくれました

[edit]

CM: 8
TB: 0

page top

2017-03

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。